311からの復興建築

2011年3月11日 14時46分過ぎ

私は東京にいて、老朽化などのため解体する予定の某省庁の施設内で新しくつくる施設の設計のための現地調査中でした。大きめの研修室の中でその室の使い方などの話を聞いている時、突然、揺れが始まりあっという間に大きな揺れとなりました。老朽化のため移転するという施設のため耐震性も十分でない建物の中で、「ヤバいかも」と思って、慌てて階段を駆け下りて外に出たのを覚えています。

調査先から事務所に戻ろうと最寄りの駅に向かい、電車が動いていないことを知り、通じない携帯電話ではなくコンビニに設置されていた公衆電話から自宅に連絡を取って家族の安全を確かめ、事務所まで歩いて戻り、そして、事務所からそれぞれ自宅へ歩いて帰る。

幹線道路は車で大渋滞し、十分幅広の歩道でさえ歩行者であふれ、車と人の間を自転車が縫うように走り去っていく。

あれから、9年の歳月が経ちましたが、東京にいる私でさえ大きな不安を抱える日々だったことをよく覚えています。

所属する日本建築学会から送られてきた日本建築学会作品選集2020には、東日本大震災の復興建築が沢山掲載されています。9年の歳月が経ち、ハードの面では復興の形が現れてきていることが見受けられます。

あの頃、在京の設計事務所や各地の建築家が「復興のため」「被災地・被災者のため」という大義名分のもと、現地へ積極的に建築提案のアプローチを掛けていました。私自身はその様子に対して、大きな違和感とそして、少しの期待感の両方を感じていたことを思い出します。

箱ものとさえ揶揄される建築、それでもその持っている力を信じている者として復興建築が出来上がってきた今、再び東北を訪れてみたいと思っています。


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